進ゼミバスケ部2024年始動!
皆さんこんにちは。
進光ゼミナール西川田教室の岩崎です。
1月13日(土)から、2024年の進ゼミバスケ部の活動がスタートしました。
「進ゼミバスケ部」と偉そうに言っていますが、
ことの発端は、約7年前、塾の生徒やOBが、
「学校の部活動以外で、みんなで楽しくバスケやりたくない?先生もバスケ経験者でしょ?」といった
何気ない一言から始まった、ただのバスケ好きの集まりです。
思い立ったが吉日!そこからはノリと勢いに任せて行動です。
早速、その日のうちに、借りることができる公共の体育館をリサーチし、
声をかけたら、参加してくれそうな人をリストアップし、
学校の行事などを考慮して開催日、開催場所、声をかける人、声をかける手段を決め、動き出しました。
あの日からはや8年、今では毎月第2、3、4週の土曜日(19:00~21:00)に、
姿川中学校の体育館をお借りして、
塾の生徒、OB、講師、お友だちなど、中学1年生から40代のおじさんまで、
バスケ経験者も未経験者も、10~25名ほどが集まってバスケをしています。
昨年までは、コロナ禍の中で、新しい参加希望者の受け入れをストップしていましたが、
2023年9月から、新たな参加者もウェルカムにしました。
最近では、姿川中のバスケ部の子たちも参加してくれるようになり、
中学生2年生チーム vs 中学生1年生+進ゼミ講師混合チームで真剣勝負したりしています。
この進ゼミバスケ部の活動を通して、私が嬉しく思うことは、
先輩方が、年長の参加者が、年下の参加者の面倒をよく見てくれ、
挨拶をきっかけにコミュニケーションを取ってくれるので、
年齢を超えて仲良く、明るく、楽しい時間を過ごせることです。
先輩たちは、自分が年長者にしていただいて嬉しかったことなどを、
後輩たちにしてくれているようで、その思いやりが、次々と広がって、
今の良い雰囲気を作ってくれています。
1年前まで、自分がプレーしている時間以外は、
スマホばかりいじっていて片付けもしなかった高校生が、
今では、率先して得点をつけたり、準備や片付けをしている姿をみると
目頭が熱くなる思いです。
これからも、私の体が動く限り、この進ゼミバスケ部の活動に参加したいと思います。
私が参加できなくなっても、大丈夫です。
頼もしい教え子たちがしっかりと運営してくれるはずです。
塾以外、勉強以外の場でも、子どもたちの成長する姿を見れるのは、本当にうれしいものです。
是非、参加希望の方がいましたら、いつでもお越しください!
進ゼミバスケ部では、以下の3つのルールを守れる方なら、誰でもいつでも大歓迎です!
・ケガをせずに、思い切りバスケを楽しむこと
・挨拶をすること
・準備、片付けは率先して行動すること
新年度通常授業スタート!
皆さんこんにちは。
進光ゼミナール西川田教室の岩崎です
本日より、2024年の通常授業がスタートしました。
今年度も残り約3か月。
受験生は、志望校合格に向けて
高校生、中学生は、学年末テストに向00けて
小学生は、新学年に向けて
現学年のラストスパートです。
プロバスケットボール選手のデリック・ローズ選手の
All the days that you wake up, You got one job, and that’s to get better every single day.
「朝起きて、やるべきことはひとつだけ。一日一日、成長し続けることだ。」
という言葉を胸に、一日一日、生徒たちが成長し続けることができるように、スタッフ一同、指導に努めてまいります。
被災した方々のために、今できる一歩を踏み出そう!
このたび能登地方を震源とする大規模地震により犠牲となられた方々に心よりお悔み申し上げるとともに、被災された方々に心よりお見舞い申し上げます。 被災地域のみなさまの安全確保、そして一日も早い復旧・復興を衷心よりお祈り申し上げます。
皆さんこんにちは。
進光ゼミナール西川田教室の岩崎です。
1月3日より、進光ゼミナール西川田教室では、被災地域のみなさまに少しでもお役に立てるように、募金活動をはじめました。
この募金は、塾生全員に強制するものではありません。
1月3日の2024年初授業の日から、生徒全員に、1月1日に起こった能登半島地震のことを伝え、この大規模地震により、犠牲となられた方、被災された方がたくさんいることを伝えています。
そして、被災された方々のために、現地に行き、直接支援をすることは難しいかもしれないが、今、自分たちにできることを1つでもやろう。こんな時こそ、微力かもしれないが、被災した方々を支えるために、自分たちにできることを少しでもやろう!と声をかけ、もしよければ、今回の募金への協力をお願いしています。
こうした、教室での募金活動は、今回が初めてではなく、2011年3月11日に起こった、東日本大震災の直後から始めました。
2011年の東日本大震災、2016年に起きた熊本地震、2018年の北海道胆振東部地震など、大規模な自然災害が起こるたびに続けてきました。
被災された方々のお役に少しでも立てるようにという気持ちとともに、
子どもたちには、
私たちは決して一人で生きているのではなく、たくさんの方々に支えられて生きていることを知り、
困っている方がいたら、手を差し伸べることができる人になって欲しい。
何か大それたことができるわけではないかもしれないが、自分にできることが少しでもあることを、
そして、その一歩を踏み出せるような人になって欲しいという願いを込めて続けています。
がんばろう北陸!
この教室から、被災された方々へ、少しでも支援が届くように、心を込めて募金活動を続けていきたいと思います。
現在の日本の教育について
皆さん、あけましておめでとうございます。
2024年がスタートし、明日から中学3年生は、私立高校の入試を迎えます。
いよいよ受験生にとって、勝負の季節になりました。
2024年最初のブログでは、現在の日本の教育について、教育コンサルタント中土井鉄信氏の記事をご紹介したいと思います。
「近代学校制度が日本に出来て、150年が経ちました。明治になってすぐ、伊藤博文と山形有朋の書簡には、学校を家のようにし、国民の心の住処にしなければならないと書いています。
それは、フランスの哲学者ルイ・アルチュセールのいう、「国家のイデオロギー装置」としての学校制度と同じことを考えていたのです。つまり、学校制度は、個人の可能性を引き出す機関ではなく、社会階層の流動化を目指すためのものであり、管理と選抜の機関だということです。
ですから、学校制度は、国家のマンパワー政策と連動します。工業化が命題だった時代は、画一知的な教育をどんどん推し進めていくことになります。太平洋戦争の敗戦後、天皇のための教育から個人のための教育に転換しますが、本質的には、全く変わることなく、学校制度は管理と選抜の機能として残ります。
そして戦後、荒廃からの脱却が命題になり、資源のない日本が技術立国となるために、教育が国の発展のために重視されるようになります。
国力が上がれば、当然、難しいことを学校で行うようになっていきます。その頂点が1971年から始まる現代化カリキュラムと呼ばれた学習指導要領です。7・5・3授業と呼ばれ、小学生の7割、中学生の5割、高校生の3割しか、学校の授業についてこれなくなっていきます。このころから学習塾が流行り出すのです。学習圧力が社会的に高くなり、日本は、世界有数の教育立国になります。
1980年代以降、先進国の仲間入りをし、国力が豊かになりました。それと同時に、貿易摩擦が国際社会化し、学校は、校内暴力で荒れ狂っていくのです。しかし、先進諸外国のように、犯罪率は上昇せず、非常に治安の良い国であったのです。
これは、義務教育の大きな貢献です。1980年代までは、子どもたちの学力は、正規分布に近いものだったので、平均点付近に大勢の子どもたちがいたのです。平均的な子どもたちだけなので、誰でもが計算はでき、漢字も書け、字も読め、地形も、常識も、ほぼ全員が共通の理解ができたのです。それは、教育全体が、基礎基本をしっかり指導し、身体的訓練もしっかり行っていたからです。それゆえ、校内暴力が火を噴くのですが、学校外には、大きな影響はありませんでした。
しかし、日本の教育は、大転換をします。1990年以降、ゆとりカリキュラムになり、2002年のゆとり教育になり、学習指導要領がマキシマムスタンダードからミニマムスタンダードに変わりました。最低限のことしか教えなくなり、社会のおける学習圧力が減っていくと、学力の二極化が起こり、今日では、学力の分断化と呼ばれるまでの状況になっているのです。学力の正規分布は大きく崩れ二極化され、平均点には、子どもたちがいない状況になったのです。平均的な子どもがいるのではなく、平均点以下の子どもと平均点以上の子どもに分裂しているような事態になったのです。これでは、社会は維持されません。話の通じない大人になっていくということです。
しかし、更に大きな変更が日本の教育には待っていました。2020年から始まった新学習指導要領です。使える知識を標榜し、子どもたちの主体性を確立するための指導要領になったのです。これが、非常に欺瞞的なものです。子どもたちの主体性を確立するためには、どういうプロセスを通っていけばよいのか、ということが全くないからです。ただただ、思考力や表現力・判断力という偽善的な言葉で、新しさを演出し、基礎基本を無視した学習を行っています。先ほどの学力の二極化、分断が、更にひどくなり、テストの分布で言えば、ゼロ点に近いところと50点前後に固まって分布するようになりました。つまり、低得点が多く存在し、高得点者が非常に少ないのです。低得点と高得点に二極化だったものが、低得点と中得点の二極化になったということです。学力レベルが一段と下がってしまったということです。」
という記事をお読みいただき、みなさまはどのように感じられたでしょうか。
学校の宿題は、自主性、主体性を重んじる「自主学習」が導入されましたが、子どもたちは、本当に今の自分たちの力を伸ばすような取り組みを、自主的に、主体的に取り組めているでしょうか。
ただ、ノートを埋めることが目的になっていないでしょうか。子どもたちの自主性は、楽な方へと向いていないでしょうか。
以前のブログにも書きましたが、小さいうちから、自主性だ!主体性だ!と言ってみてところで、
何の判断基準も持ち合わせていない子どもに、そもそも判断なんてできません。
子どもがある程度、正しい判断ができるようになるまでは、大人が正しい方向にガイドしていかないといけません。
文科省の非常に危なっかしい教育改革の中で、子どもたちに正しい自主性が芽生えるように、時に厳しいことを言わなくてはならないこともあります。
今、嫌な顔をされても、未来の子どもたちの人生のために、勇気と根気を持って、スタッフ一同、2024年の指導にあたります。
子どもの自主性について
皆さんこんにちは。
進光ゼミナール西川田教室の岩崎です。
最近、子どもの「自主性」や「主体性」を尊重するということがよく言われます。
しかし、果たしてそれが子どもにとって良いことなのか…。
実は、よくよく考えないとわからないものです。
小さいうちから、自主性だ!主体性だ!と言ってみてところで、
何の判断基準も持ち合わせていない子どもに、そもそも判断なんてできないように思います。
そこは、ある程度、親や先生、大人がガイドしていかないと正しい方向へは進みません。
子どもの意志次第だというのはもっともですが、なんでも子どもが決めて良いわけがありません。
子どもでは判断がつかないことはいくらでもあります。
逆に言うと、「自分のことは自分で決めなさい」というのは、
ある意味では親としての責任を回避しているとも言えます。
子どもが決めた責任は子どもにあると考えるのは、
結果が良くない場合は無責任以外の何ものでもありません。
子どもを守る責任が親にはあるからです。
確かに、子どもにも自己選択権があります。
ですがそれは、子どもに責任が負える範囲でのことです。ここが重要なポイントです。
親が子どもを見ていて、子どもにとって意味があることは何なのか。
そして今の子どもの状態で、何をすれば子どものためになるのか。
そういう判断基準で親が子どもをガイドすることが大切なことです。
子どもの年齢によって、ガイドの度合いは違ってきますが、
大切なことは、子どもが正しい判断ができるようになるまで、大人が見守りながらガイドすることです。
プレゼント
皆さんこんにちは。
進光ゼミナール西川田教室の岩崎です。
もう間もなく、クリスマスを迎えます。
皆様のお手元にも素敵なプレゼントが届くことを願っております。
プレゼントは、いくつになってもとても嬉しいものです。
私は、ずっと昔、知人からプレゼントについて、とても大切な考え方を教えていただきました。
その知人(私よりずっと年上の方です)は、私をいろいろなお店に連れて行ってくれ、食事をごちそうしてくれ、帰りには、お土産まで持たせてくれました。
その知人に、ある日、
「いつも食事をご馳走していただくだけでなく、お土産までいただき本当にありがとうございます。私には、何もお返しすることができず、申し訳ありません。」
と伝えたところ、
「何も気にしなくていいよ。食事もお土産も、日ごろからお世話になっている人たちに、私の感謝の気持ちをお返ししているだけだから。
私が食事をご馳走しているのではなく、食事をご馳走させていただいているんだよ。」と。
その言葉を聞くまで、私は「ご馳走してあげる」という言葉を何の気なしに使っていました。
プレゼントは「する」ものではなく、「させていただくもの」というこの考え方は、その日以来、ずっと私の心の中に残っています。
まわりの方々に感謝の気持ちを忘れず、その感謝の気持ちを伝えられるような人でありたいと、思っています。
この知人の言葉こそ、私の人生にとって、とても大きなプレゼントでした。