羽なんて、いらない。
こんにちは☀️西川田教室の岸井です✨
春らしくあたたかくなりましたね。南警察署の交差点付近に梅か桜か(花に疎く分からないのですが(笑))咲いているのをきょう見つけ、「小さい春みつけた!」となりました。これからまた、つくしやタンポポが生えてくるのが楽しみです🌸
前回のブログで、ダンボの話をしました。教室でダンボが好きだと言う話をすると「そういえば前もダンボの付箋紙持ってたよね!」と言ってくれる生徒さんがいます。使っていたのは半年ほど前かと思うのですが、それを覚えておいてくれるのは本当に嬉しいですね。
その付箋紙が折り畳み式の台紙についているものになるのですが、一回開くとこんな絵になっています。
タッチがディズニーの映画のものとは違うデザインのダンボです。そしてこの絵で一枚の羽が写っています。この羽は映画の中でも登場するものなのですが、ふと、「この羽の存在って私たち=教室で指導する者たちの存在に似ているな」と思いました。
この羽はダンボが飛ぶときのおまもりのようなもので、飛ぶ練習をするときにいつも鼻の先でしっかり捕まえて飛んでいたものです。
この羽を、映画のフィナーレ=最後のサーカスのときに風に飛ばされて失くしてしまいます。動揺するダンボですが、相棒のティモシーの声援もあって飛び立ちます。もちろんこの回の「空飛ぶゾウ」も成功しました。
教室内で授業をするときは、生徒さんの声のかけやすいところにいたり、こちらからお節介に声をかけに行ったりして、生徒さんが正解へたどり着くサポートをさせていただきます。しかしそれは、ただやり方を丸々ご指導する、ということではありません。生徒さんがご自身の力で解けるように、初めの段階でだけ、「手を貸している状態」と言えるかもしれません。
実際に家庭学習やテストの場では、私たちはいません。この【教室にいるときとは違う状態】にふと不安になってしまうかもしれませんが、私たちが近くにいる間に自分で解き進めてみる力はしっかりついています。
「先生がいないと勉強が進まない」は起こさない。それが、進光ゼミナールの個別指導です。
これからも、「ひとりでやるときは、こんなことに気をつけてね」「こう考えてみてね」といった、自立学習を促す指導を続けていきたいなと、改めて思いました✨
10年目の3月11日
10年前の3月11日、その日は、今日と同じ県立高校の合格発表の日だった。
県立高校の合格発表の日を迎えると、いつもあの日のことを思い出す。
その日は、合格報告をしに来ていた、生徒数人と教室でその瞬間を迎えた。
教室が揺れ、地震だとわかった。危険を回避するため教室の外に出ると、
車は飛び跳ねるように揺れ、電柱は折れんばかりに激しく揺れていた。
その光景を目の当たりにし、尋常ではない事態がおこっているのだと本能で感じた。
揺れがおさまり、教室を確認すると、幸運なことに、電気や水道、ガスも使えた。
電気がついていたこともあり、生徒や講師が自然と教室に集まり、情報を共有し、
とてつもないことが起こっていることを知った。
あの日から10年。
時がたつのは早いもので、少しずつ、私たちはあの日のことを思い出す機会が減ってきている。
私は、あの日から変わらない想いがある。
それは、あの日、何もできなかった後悔だ。
被災した多くの人々が、大変な生活を送る中、日本中から多くのボランティア、
支援が被災地に届けられ、世界中から多くの人々が支援の輪に加わった。
そのような中、私は何をしただろう?
コンビニなどに置かれた募金箱にいくらかのお金を入れるだけで、
何一つ被災した人たちのために行動することもなく、自分の生活を送っていた。
何もできなかった。いや、できたはずなのに、しなかった。
行動する勇気がなかっただけだ。
その後悔が、今も心に残っている。
それから、私は、教室に募金箱を置き、募金活動を行うことにした。
もちろん、生徒たちに強制するようなことはない。
熊本地震、北海道胆振東地震など、日本赤十字社や国の義援金に支援金として送金した。
いまだに、現地に赴き、ボランティアをすることも、物資を直接、自分の手で届けることもできていないが、
あの日の気持ちを忘れずに、募金活動だけは続けて行きたいと思う。
大したことは何も出来ていないが、せめて、少しだけでも役に立ちたい。
そして、生徒たちが、私と同じ後悔をしないように、
支えあい生きていくことの大切さ知り、
勇気ある行動力をもった大人になってほしい。
何もできなかった私でも、反面教師にはなれるはずだ。
だから、伝えなくては。
それは、私の使命だと思う。
羽ばたけ!卒業生!
こんにちは☀️西川田教室の岸井です🌸
きょうは市内中学校の卒業式ですね。長いような短いような義務教育が終わり、それぞれの考えて選択した未来へ進む門出です。わたしが中学1年生だったときの卒業式で、卒業生(ふたつ上の先輩)のひとりが退場直後に「義務教育おわったぜー!!いぇーーい!」と叫んだのが、個人的に「卒業式」といって思い出すエピソードです(笑)
前回のブログでマフラーの紹介をさせていただきましたが、最近バインダーを新しくし、そこにも思い入れがあるので、今回も持ち物紹介をさせていただきます。
いつも表面には指導する際に使う紙を挟んでいるので、こちらの面を向けて持っているのですが、生徒さん、特に女の子に「新しくしたんだ!かわいい!」と声をかけてもらいます。「そうなのー、ディズニーストアで買ったんだ。何のキャラクターでしょう!」と急に問題を出すと、「ディズニーなんだ!たしかにディズニーぽい!えーなんだろう。。」と考え込む生徒さん。実はアルファベットでしっかりお名前が書いてあるんですけどね(笑)
答えはダンボです。古きよきディズニー映画の中でわたしがいちばん好きなダンボがバインダーになってあったので、つい即買いしてしまったのです。もちろんダンボが好きな理由もあります。
ダンボは生まれつき耳が大きなゾウです。ダンボの映画の中では子どもはコウノトリが夜中にそっと届けに来るのですが、翌朝自分の近くに眠っているダンボを見つけたダンボママは驚きます。体を全部覆ってしまうほど耳が大きかったからです。
その大きな耳ゆえに笑われてしまうこともあり、引っ込み思案になるダンボ。サーカスでも、これまで先輩ゾウたちがやってきた技は、大きな耳が邪魔になってなかなかキメられません。中略しますが、さまざまな出会いがあってダンボは、これまでゾウでやったことなど無かった「空中を飛ぶ」という芸を身に付けます。
初めは「オンリーワン」であることを恥じていたダンボが、「オンリーワン」である自分を誇らしげに飛ぶシーンがとても好きです。
「平成を作ってくれたのは昭和生まれ。令和を作るのは平成生まれ。」という言葉があります。いままで見たことの無い時代の変化に柔軟に対応し、個々の強みを忘れず、輝いてほしいです。
未来へはばたけ!卒業生!
そして卒業おめでとう!
先を見据えられる人になれるように
こんにちは✨西川田教室の岸井です🍀
宇都宮市内の中学校の生徒さんは、週明けの月曜日
1年生、2年生⇒実力テスト
3年生⇒県立高校入試
を控えていますね。日々の学習・これまでの学習の成果を最大限に発揮してほしいなと願うばかりです。
こちらで時々、小中学校の前で進光ゼミナールのティッシュを配っていることを書かせていただいていますね。先週も某中学校でティッシュを配っていたところ、ある女の子にマフラーを「いつもかわいいですね」と褒めてもらいました。
気に入っていて身に付けているものを褒めてもらえると嬉しいですね。そしてそのマフラー、毎日身に付けているのにはある思い入れがあるので、この際こちらで勝手ながらシェアさせていただきたいなと思います。
このマフラーは、5年ほど前私が大学生だったときに友人から誕生日プレゼントとしてもらったものです。ご存じの方もいるかもしれませんが、私の誕生日は8月です。8月誕生日の私へのプレゼントがマフラー。ここには彼女が考えた理由がありました。
私の通っていた大学は、8月と9月が夏休みになっています。例年はそのお休みの間に予定を合わせ、遊びにいくのですが、この年は私が何かと忙しく予定を合わせて会うことができないでいました。
そんな状況で彼女が考えたロジックはこうでした。「お休みの間に誕生日になっちゃった。でも会えていない。会えるのは10月になってから。10月はまだそんなに寒くないかもしれないけど【これから冬本番!】っていう季節。冬に毎日使ってもらえるものをプレゼントしよう!」
そーんなに大した考えではないかもしれません。ですが今のこと、頑張っても来週のことくらいまでしか考えないでのうのうと生きていた私には、先のことを考えてくれた彼女のプレゼントは衝撃でした。彼女の思惑通り、毎年冬になると毎日身につけて外出しています。
きょうも支度でマフラーをとるとき、彼女のことを思い出して【いま目の前にあることだけじゃなく、もっと先を見据えた人間になろう】そう思いました。
私は持ち物に、そんな自分への願いや思いが入っているものがいくつかあります。また次回この場を借りてシェアさせていただきたいと思います。楽しみにしていただけると嬉しいです✨
きょうも最後まで読んでいただきありがとうございました🍀
言の葉の庭 ※ネタバレ注意
こんにちは、西川田教室の岸井です。
きょうは久しぶりに、大雨が降っていますね。教室に来てくれた小学生の生徒さんが、「学校の靴、明日の朝までに乾くかなぁ」と心配していました。「お部屋の乾燥機があるから大丈夫か!」と笑って帰りましたが(笑)私が小学生の頃は、家に乾燥機などなく、最悪の場合ドライヤーで乾かしていましたが、便利な時代になりましたね。
先日母に誘われて、新海誠監督の「言の葉の庭」を観ました。私の母はマコなり社長のYouTubeチャンネルが大好きで、なんでも、そのマコなり社長が動画内でおすすめしていたんだとか。好きなYouTuberさんの影響をすぐに受ける母は、早速YouTubeでこの映画をレンタルし、テレビに繋いでみんなで観よう!となったわけです。
〈ここからネタバレを含みます〉
この映画は、とある夢を持つ男子高生タカオと、訳あって職場(学校)へ行けなくなってしまった古典の先生ユキノのお話です。このふたりは大都会の真ん中にある庭(新宿御苑がモデルになっています)で初めて会い、雨の日の午前中は必ずそこで会うことになります。初めて会った日から、制服を着ているタカオを見て、自分が行けていない職場=学校の生徒であることに気づいているユキノに対し、自分の学校の先生であることの全く気づかないタカオ。
授業を担当されたことはなかったタカオは、ユキノが自分の学校の先生だなんてことに全く気付かず接します。一方で学校で生徒と問題を起こしてしまい、行けなくなってしまっていたユキノは、てっきり自分は学校中の生徒に知られてしまっていると思っていました。
このユキノの“勘違い”を起こしてしまうことが、特に昨今は多いのではないか、と映画を観ていて感じました。
学校であった恥ずかしいことを文字に起こされSNS上に上げられたり、遊んでいた時の動画や写真を上げられたり、、時間がある時はSNSを漁っている人にとっては、SNSでの世界が、この世界そのもののように思えて、全世界の人に知られてしまっているように感じ、閉じこもってしまうことがあるでしょう。
もちろんそのように拡散することは、法律で規制されているものなので、“そもそも”いけないことです。しかし【世界はそんなに狭くない】ということを、子どもたちには知っていてほしいな、と思いました。
SNSには人口知能(AI)も組み込まれ、その操作する側の興味のありそうなものを次から次へと提案され、世界が広がっていっているように思います。しかし、それでもまだまだ世界のほんの一部なのです。教室で生徒さんたちとTicTokの動画の話などをするとき、「よく“おすすめ”に出てくる~~さんっているじゃん」と話すと、???となることがよくあります。そのときに、「同じTicTokというアプリで動画を見ているだけで、中身は全く違うんだな」と思いました。
学校の集団生活やSNSなどメディアに溢れた世界で、自分の思い・願い・夢などを信じぬくことは難しいと思いますが、自分の今見えている世界は世界の全貌ではないこと、また、自分で世界は広げられることを知ってほしいです。
進光ゼミナールへ入社して満2年、全く本を読むことがなかった、映画なども興味がなかった私が、室長岩﨑や他の方々の影響を受けて、さまざまな本を読んだり、映画に触れたりするようになりました。そのおかげで世界がぐっと広がりました。今読んでいる小説もとてもおもしろいので、またブログでシェアしたいと思います。
子どもの評価は学力だけじゃない!!
今回は、学力にまつわることに関して書きたいと思います。
昨今は、学力の高い人が人間的にも上で、
学力の低い人が人間的にも下だという風潮があるような感じがしますが、
決してそんなことはありません。
学力が高くても低くても、一人前の大人になることが重要です。
知識の獲得競争に向いている人もいれば、向いていない人もいます。
知識を活用することに長けている人間もいれば、そうでない人間もいるのです。
子どもの一時期をそういう単純な価値観で縛ってはいけないと思います。
学校教育で重要なことは、学力を獲得するということではなく、
学力を獲得する過程の中で、さまざまなことを経験することにあると思います。
学力を獲得することが目的ではなく、学力を獲得しようと格闘する中で、
身につける社会性が重要なのです。
この社会性こそ、一人前の大人になるということにつながっていくのです。
目の前にある課題に対して誠実に対応するとか、
見本になる人の真似をすることで、見本となる中身が自分の中に入ってくるとか、
そういう経験が重要です。
学びの基本動作を学ぶことで、子どもから責任ある社会の構成メンバーとなり、
現実から学んでいけるようになることが重要なことなのです。
単なる学力獲得忠誠競争に勝利することが、学校教育の教育効果ではないのです。
そのことを忘れてはいけません。しかし、昨今の風潮は、
それを忘れてしまっているように思えるのです。
学力という基準だけで、子どもを評価してはいけません。
他人に対する共感力や相互扶助的な行動力や問題解決能力などの基準で、
子どもを多元的に評価していくべきなのです。
そうすれば、子どもはきっと今よりも、もっと活き活きするはずです。
子どもを一面的に学力で評価しないようにしたいものです。