か「」く「」し「」ご「」と「
こんばんは🌃西川田教室の岸井です🍀
すっかり春になりましたね。私の自宅の裏にある公園からは、奥に咲き誇る桜が見え、「春の入り口」という感じがとても好きです。
さて、先月あたりのブログでちょろっと、「いま読んでいる小説がおもしろいのでどこかでシェアします」と書いたかと思います(覚えていなくても大丈夫です、私もなんとなくしか覚えていません(笑))。
前回のブログで購入したと書いた『君の膵臓をたべたい』の作者・住野よるさんの『か「」く「」し「」ご「」と「』を読みました。きょうは、その小説についてシェアさせていただきたいと思います。
ーーーー
ここで少々余談ですが、私が本を選ぶときは①表紙の絵とタイトルに一目惚れしたパターン②以前読んだ本の作家さんと仲がいい・関係がある作者さん/イラストレーターさんが書いた/描いたものだったパターン の2パターンあります。
今回は②でした。進光ゼミナールに勤め始めたときに読み始めた『10代のための疲れた心がラクになる本』の表紙も手掛けている「いつか」さんが表紙を描かれてることを知り、手に取ったわけです。
この『10代のための疲れた心がラクになる本』、いわゆる「HSC/HSP」「繊細さん」についての本です。アルファベットで書くと、病気っぽく感じてしまうため「繊細さん」と武田友紀さんが再定義されましたが、このような脳のメカニズムの方は5人に1人、つまり日本の全人口に対するB型の割合くらいいるわけです。全く恥ずかしいものではありません。この本を読んで、「もしや私も繊細さん?」と思うところがありました。
話し言葉でとても読みやすいので、おすすめです。HSP等に興味はあるけど本を買うのは抵抗がある、という方は、中田敦彦さんがやっているYouTube大学の「繊細さんの本」についての解説動画が大変おすすめですので、どちらか、是非。
とまぁ、案件みたいになってしまいました。本題に戻りましょう。(笑)
ーーーー
きょうシェアさせていただく『か「」く「」し「」ご「」と「』。とある高校生5人組グループのお話しなのですが、中が五つの物語に分かれており、それぞれの登場人物の視点から他の4人の言動を観察し、関係を構築していくという一風変わった面白い作品になっています。
このメインの登場人物5人それぞれは、違った見え方で他人(ひと)の思っていることや感情が見えるという特殊能力を持っています。
そんな能力のもと、[あの子はあんな風に言っているけど、気持ちはこうだ。なんでそんな風に振る舞うんだろう。どうして欲しいんだろう。]そんなことを考えながら接するのです。そんな特殊能力がない人間としては、「そんな風に考えながら生きるの大変そう。。」となる訳ですが、こんな目に見える特殊能力は無くとも、自分たちは日々の人と接する中で、そんな風に考えているのではないかな、と思えてきます。
ある研修へ行ったときに、「デノテーションとコノテーション」という物についてのお話を聞きました。デノテーションというのは、その言葉そのままの意味、コノテーションというのは、その言葉が持ち得る広い意味です。このデノテーションを聞き取ることは、日本人はほかの国や地域の方々に比べ、できることがある、というのを何かで聞いたことがあります。
たとえば、友だちと出かけたときにその友だちが「のどが渇いた」「お腹が空いた」などと言ったとします。その時に日本人なら「そうだね、どこかでお茶しようか。」「ちょうどいい時間だし、お昼にでもしようか。何食べる?」となることが多いでしょう。しかしこれらの言葉について「そうだねー」で終わってしまうことが世界的に見ると多いんだとか。そちら側の視点からすると、「だってお茶したい、とか、飲み物飲みたいとか言ってないじゃん!」「お昼ご飯にしようって言えばよくない?」となるんだそう。この「お茶したい」「飲み物飲みたい」「ご飯が食べたい」が、初めの発言に含まれているデノテーションです。
今まさに、「日本人はデノテーションを読み取るのが、比較的得意」ということ、またその一例を挙げましたが、これは分かりやすい例であって、実際はもっと複雑な場合が多いのです。
ただの現象・状態を伝えているように思うことも、その中に何かの願望、お願いが含まれていることが多いのです。研修では、塾に来られる生徒さんの具体的な発言から、その言葉に含まれるデノテーションを読み取り、適切なお返事をする練習、ということをするのですが、今回この小説『か「」く「」し「」ご「」と「』を読んで、そういった練習を思い出しました。
どうしても、自分のやっていること、その日、その週のスケジュールに追われていると、心の余裕がなくなり、デノテーションまで読み取って、優しく答えることができなくなってしまします。そうならないために、心の余裕を持つこと、また、先ほど余談で書いたような、心理学・人の心についての勉強をし続けていきたいと思いました。
人それぞれ様々な考え方はしますが、その「傾向」という観点から見ると、この小説の5人の誰かには似ているのではないかなと思いました。帯に「共感度No.1!」と書かれているのですが、納得です。
ちなみに私は、中学生の頃は〈エルちゃん〉のような、今は〈パラちゃん〉のような、ものの考え方をし、人に接しているなぁと思いました。『か「」く「」し「」ご「」と「』是非読んでみてください。
推ししか、勝たん。
こんにちは、西川田教室の岸井です。
進光ゼミナールでは、春期講習が始まりました。普段の50分授業とは違い、75分と長めの授業時間になりますが、生徒さんたちみんな、頑張ってくれています。
きょうは、「親世代と子世代とのジェネレーションギャップもどき」について、書いていきたいと思います。
講習前のとある休日に『推し、燃ゆ』を読みました。本屋さんへ行くのが好きでよく行くのですが、どこの本屋さんでも「芥川賞受賞!」と特設コーナーが設けられている小説です。あまり流行や“話題の~”などには興味がないタイプですが、その日は前日にショックなことがあってか、普段は買わない“特設コーナーの本”を購入しました(ついでに今月美容院へ行ったときに、担当の美容師さんに「読んでないのはやばい」と言われた『君の膵臓を食べたい』も一緒に買ってしまいました。落ち込んでいるときの衝動買いとは怖いものです(笑))
この小説は主人公の女の子が“推し”としている俳優さん・タレントさんが暴行事件を起こしてしまい、ネットニュースで取り上げられ、SNS上で炎上してしまうところから始まります。運動も勉強も苦手で、いつも学校では保健室登校。ただ“推し”のために生きている女子高生。とある飲食店でバイトをしているのですが、もちろんそのお給料も、推しを応援するための活動(推し事[おしごと]と呼ばれます)に使います。そんな話をお客さんと店長としたときに、「もっと現実の男を見ないと」と大人の人たちに言われてしまいます。
私は中学生の時に一時ジャニーズにハマり、いわゆる「オタク用語」を覚えました。まず、今の中高生も同じ言葉を使っているのかわからないのですが、まだ覚えているものがいくつかあります。ライブ等イベントには行かないけど、好きなアイドルが出る番組はしっかり追いかけるファンのことを「茶の間」、アイドルとして、ではなく一男性として好きで、お互いこの世に生きている限り、どこかで結ばれるかもしれえない、そんな風にアイドルを純粋な恋心で思うことを「本気愛」。今のK-POPファンの間で、好きなアイドルの名前を入れて、自分が誰のファンであるかを表す「○○ペン」は「○○担」でした。今の中高生も同じように使っている言葉で、同じ人を応援しているファンの方とは仲良くなりたくありません、という意思表示「同担拒否」が生まれたのだと思います。
教室でも筆箱やスマホケースに推しの写真を入れている生徒さんはちょいちょい見かけます。よくわからない人でも「その人、推し?」と聞くと、たくさん説明してくれるので、もはやこのセリフはパワーワードです(笑)
この“推し”という概念、保護者世代の層には理解が難しいように思います。まだ「本気愛」であってくれる方が分かりやすいかもしれません。小説の中でも、“推し”から広がる様々な概念について書かれていましたが、それを気持ちで理解するのは時間がかかるのではないでしょうか。
この「保護者層と生徒さん層のジェネレーションギャップもどき」は保護者面談などで話を聞いていると、かなりあるなぁ、、と思います。
いちばんよく聞くのは、「子ども(生徒さん)が、音楽を聴きながらじゃないと勉強ができない」というのが理解できない、というものです。私は生徒さんたち側の感覚に非常に近く、何か聞いていないと落ち着きません。高校生でウォークマンを買ってもらってからは、登下校時には手持無沙汰のため、英語の教科書CDを落としたものを、自習時には好きなアーティストの音楽を大音量でイヤホンで聞いていました。ちょっとやそっと声をかけられただけでは気づかないため、よく母や友人に肩をたたかれていたように思います。
確かに、音楽を聴きながら勉強をするよりも、何も聞かないで勉強した方が、学習内容はよく記憶しているという研究結果が出ているようです。しかし、何も音楽がかかっていない状態のまま、「よし、勉強始めるか」という風には私はなりにくいタイプで、むしろ、「理系教科の勉強をするときはこのアルバムを聴く」「文系教科の時はこっち」なんてマイルールをしっかり決めて勉強していたタイプです。
また、「将来の夢がない」「やりたいことがない」という子どもが多い、なんてことをよく言われます。教室で生徒さんたちに聞いてみてもそうです。この“問題視”されている事案に対して、どうしたらいいんだろう、、と漠然と考えていたのですが、いま読んでいる本、西野亮廣さんの『革命のファンファーレ』におもしろいことが書いてありました。
いまの「大人」が子どもっだった時代はネット環境なんてものはなく、もちろんyoutuberなんて職業もない、そして現在は無くなってしまっている、もしくは、無くなろうとしている職業がごく普通にあった時代です。「今ある仕事が無くなることがある」なんてことが、全く一般的でなかった時代。
それがどうでしょう。このどんどん仕事が無くなっていく社会を目の当たりにしている子どもたちに、「なりたいものを」と聞かれても、「今は興味があるけど、一生それで生きていけるか分からないし、まず自分が大人になるころに、その職業がある保証もない」となるわけです。この流れを知り、「あ、たしかに。」と納得してしましました。
西野さんは、転職や副業が当たり前になってきているこの社会で、一つのものに対して「これをやりたい!」と思ってしまうことの方が危険だとすら言っています。
もちろん、勉強するためにモチベーションを上げていくために、やりたいことがあることは大事だと思います。しかし、そのような夢などがないから悪い訳ではないことを、生徒さんたちに伝えていきたいなと思いました。
子どもたちが成長して大人になっていくために、私たちはサポートをしているわけですが、そんな私たちはその「未来の社会」を知りません。子供たちの立場に立って、子供たちなりの将来像に寄り添いつつ、社会の流れを学び続けたいと思います。
羽なんて、いらない。
こんにちは☀️西川田教室の岸井です✨
春らしくあたたかくなりましたね。南警察署の交差点付近に梅か桜か(花に疎く分からないのですが(笑))咲いているのをきょう見つけ、「小さい春みつけた!」となりました。これからまた、つくしやタンポポが生えてくるのが楽しみです🌸
前回のブログで、ダンボの話をしました。教室でダンボが好きだと言う話をすると「そういえば前もダンボの付箋紙持ってたよね!」と言ってくれる生徒さんがいます。使っていたのは半年ほど前かと思うのですが、それを覚えておいてくれるのは本当に嬉しいですね。
その付箋紙が折り畳み式の台紙についているものになるのですが、一回開くとこんな絵になっています。
タッチがディズニーの映画のものとは違うデザインのダンボです。そしてこの絵で一枚の羽が写っています。この羽は映画の中でも登場するものなのですが、ふと、「この羽の存在って私たち=教室で指導する者たちの存在に似ているな」と思いました。
この羽はダンボが飛ぶときのおまもりのようなもので、飛ぶ練習をするときにいつも鼻の先でしっかり捕まえて飛んでいたものです。
この羽を、映画のフィナーレ=最後のサーカスのときに風に飛ばされて失くしてしまいます。動揺するダンボですが、相棒のティモシーの声援もあって飛び立ちます。もちろんこの回の「空飛ぶゾウ」も成功しました。
教室内で授業をするときは、生徒さんの声のかけやすいところにいたり、こちらからお節介に声をかけに行ったりして、生徒さんが正解へたどり着くサポートをさせていただきます。しかしそれは、ただやり方を丸々ご指導する、ということではありません。生徒さんがご自身の力で解けるように、初めの段階でだけ、「手を貸している状態」と言えるかもしれません。
実際に家庭学習やテストの場では、私たちはいません。この【教室にいるときとは違う状態】にふと不安になってしまうかもしれませんが、私たちが近くにいる間に自分で解き進めてみる力はしっかりついています。
「先生がいないと勉強が進まない」は起こさない。それが、進光ゼミナールの個別指導です。
これからも、「ひとりでやるときは、こんなことに気をつけてね」「こう考えてみてね」といった、自立学習を促す指導を続けていきたいなと、改めて思いました✨
10年目の3月11日
10年前の3月11日、その日は、今日と同じ県立高校の合格発表の日だった。
県立高校の合格発表の日を迎えると、いつもあの日のことを思い出す。
その日は、合格報告をしに来ていた、生徒数人と教室でその瞬間を迎えた。
教室が揺れ、地震だとわかった。危険を回避するため教室の外に出ると、
車は飛び跳ねるように揺れ、電柱は折れんばかりに激しく揺れていた。
その光景を目の当たりにし、尋常ではない事態がおこっているのだと本能で感じた。
揺れがおさまり、教室を確認すると、幸運なことに、電気や水道、ガスも使えた。
電気がついていたこともあり、生徒や講師が自然と教室に集まり、情報を共有し、
とてつもないことが起こっていることを知った。
あの日から10年。
時がたつのは早いもので、少しずつ、私たちはあの日のことを思い出す機会が減ってきている。
私は、あの日から変わらない想いがある。
それは、あの日、何もできなかった後悔だ。
被災した多くの人々が、大変な生活を送る中、日本中から多くのボランティア、
支援が被災地に届けられ、世界中から多くの人々が支援の輪に加わった。
そのような中、私は何をしただろう?
コンビニなどに置かれた募金箱にいくらかのお金を入れるだけで、
何一つ被災した人たちのために行動することもなく、自分の生活を送っていた。
何もできなかった。いや、できたはずなのに、しなかった。
行動する勇気がなかっただけだ。
その後悔が、今も心に残っている。
それから、私は、教室に募金箱を置き、募金活動を行うことにした。
もちろん、生徒たちに強制するようなことはない。
熊本地震、北海道胆振東地震など、日本赤十字社や国の義援金に支援金として送金した。
いまだに、現地に赴き、ボランティアをすることも、物資を直接、自分の手で届けることもできていないが、
あの日の気持ちを忘れずに、募金活動だけは続けて行きたいと思う。
大したことは何も出来ていないが、せめて、少しだけでも役に立ちたい。
そして、生徒たちが、私と同じ後悔をしないように、
支えあい生きていくことの大切さ知り、
勇気ある行動力をもった大人になってほしい。
何もできなかった私でも、反面教師にはなれるはずだ。
だから、伝えなくては。
それは、私の使命だと思う。
羽ばたけ!卒業生!
こんにちは☀️西川田教室の岸井です🌸
きょうは市内中学校の卒業式ですね。長いような短いような義務教育が終わり、それぞれの考えて選択した未来へ進む門出です。わたしが中学1年生だったときの卒業式で、卒業生(ふたつ上の先輩)のひとりが退場直後に「義務教育おわったぜー!!いぇーーい!」と叫んだのが、個人的に「卒業式」といって思い出すエピソードです(笑)
前回のブログでマフラーの紹介をさせていただきましたが、最近バインダーを新しくし、そこにも思い入れがあるので、今回も持ち物紹介をさせていただきます。
いつも表面には指導する際に使う紙を挟んでいるので、こちらの面を向けて持っているのですが、生徒さん、特に女の子に「新しくしたんだ!かわいい!」と声をかけてもらいます。「そうなのー、ディズニーストアで買ったんだ。何のキャラクターでしょう!」と急に問題を出すと、「ディズニーなんだ!たしかにディズニーぽい!えーなんだろう。。」と考え込む生徒さん。実はアルファベットでしっかりお名前が書いてあるんですけどね(笑)
答えはダンボです。古きよきディズニー映画の中でわたしがいちばん好きなダンボがバインダーになってあったので、つい即買いしてしまったのです。もちろんダンボが好きな理由もあります。
ダンボは生まれつき耳が大きなゾウです。ダンボの映画の中では子どもはコウノトリが夜中にそっと届けに来るのですが、翌朝自分の近くに眠っているダンボを見つけたダンボママは驚きます。体を全部覆ってしまうほど耳が大きかったからです。
その大きな耳ゆえに笑われてしまうこともあり、引っ込み思案になるダンボ。サーカスでも、これまで先輩ゾウたちがやってきた技は、大きな耳が邪魔になってなかなかキメられません。中略しますが、さまざまな出会いがあってダンボは、これまでゾウでやったことなど無かった「空中を飛ぶ」という芸を身に付けます。
初めは「オンリーワン」であることを恥じていたダンボが、「オンリーワン」である自分を誇らしげに飛ぶシーンがとても好きです。
「平成を作ってくれたのは昭和生まれ。令和を作るのは平成生まれ。」という言葉があります。いままで見たことの無い時代の変化に柔軟に対応し、個々の強みを忘れず、輝いてほしいです。
未来へはばたけ!卒業生!
そして卒業おめでとう!
先を見据えられる人になれるように
こんにちは✨西川田教室の岸井です🍀
宇都宮市内の中学校の生徒さんは、週明けの月曜日
1年生、2年生⇒実力テスト
3年生⇒県立高校入試
を控えていますね。日々の学習・これまでの学習の成果を最大限に発揮してほしいなと願うばかりです。
こちらで時々、小中学校の前で進光ゼミナールのティッシュを配っていることを書かせていただいていますね。先週も某中学校でティッシュを配っていたところ、ある女の子にマフラーを「いつもかわいいですね」と褒めてもらいました。
気に入っていて身に付けているものを褒めてもらえると嬉しいですね。そしてそのマフラー、毎日身に付けているのにはある思い入れがあるので、この際こちらで勝手ながらシェアさせていただきたいなと思います。
このマフラーは、5年ほど前私が大学生だったときに友人から誕生日プレゼントとしてもらったものです。ご存じの方もいるかもしれませんが、私の誕生日は8月です。8月誕生日の私へのプレゼントがマフラー。ここには彼女が考えた理由がありました。
私の通っていた大学は、8月と9月が夏休みになっています。例年はそのお休みの間に予定を合わせ、遊びにいくのですが、この年は私が何かと忙しく予定を合わせて会うことができないでいました。
そんな状況で彼女が考えたロジックはこうでした。「お休みの間に誕生日になっちゃった。でも会えていない。会えるのは10月になってから。10月はまだそんなに寒くないかもしれないけど【これから冬本番!】っていう季節。冬に毎日使ってもらえるものをプレゼントしよう!」
そーんなに大した考えではないかもしれません。ですが今のこと、頑張っても来週のことくらいまでしか考えないでのうのうと生きていた私には、先のことを考えてくれた彼女のプレゼントは衝撃でした。彼女の思惑通り、毎年冬になると毎日身につけて外出しています。
きょうも支度でマフラーをとるとき、彼女のことを思い出して【いま目の前にあることだけじゃなく、もっと先を見据えた人間になろう】そう思いました。
私は持ち物に、そんな自分への願いや思いが入っているものがいくつかあります。また次回この場を借りてシェアさせていただきたいと思います。楽しみにしていただけると嬉しいです✨
きょうも最後まで読んでいただきありがとうございました🍀