皆さん、あけましておめでとうございます。
2024年がスタートし、明日から中学3年生は、私立高校の入試を迎えます。
いよいよ受験生にとって、勝負の季節になりました。

2024年最初のブログでは、現在の日本の教育について、教育コンサルタント中土井鉄信氏の記事をご紹介したいと思います。

「近代学校制度が日本に出来て、150年が経ちました。明治になってすぐ、伊藤博文と山形有朋の書簡には、学校を家のようにし、国民の心の住処にしなければならないと書いています。
それは、フランスの哲学者ルイ・アルチュセールのいう、「国家のイデオロギー装置」としての学校制度と同じことを考えていたのです。つまり、学校制度は、個人の可能性を引き出す機関ではなく、社会階層の流動化を目指すためのものであり、管理と選抜の機関だということです。

ですから、学校制度は、国家のマンパワー政策と連動します。工業化が命題だった時代は、画一知的な教育をどんどん推し進めていくことになります。太平洋戦争の敗戦後、天皇のための教育から個人のための教育に転換しますが、本質的には、全く変わることなく、学校制度は管理と選抜の機能として残ります。

そして戦後、荒廃からの脱却が命題になり、資源のない日本が技術立国となるために、教育が国の発展のために重視されるようになります。

国力が上がれば、当然、難しいことを学校で行うようになっていきます。その頂点が1971年から始まる現代化カリキュラムと呼ばれた学習指導要領です。7・5・3授業と呼ばれ、小学生の7割、中学生の5割、高校生の3割しか、学校の授業についてこれなくなっていきます。このころから学習塾が流行り出すのです。学習圧力が社会的に高くなり、日本は、世界有数の教育立国になります。

1980年代以降、先進国の仲間入りをし、国力が豊かになりました。それと同時に、貿易摩擦が国際社会化し、学校は、校内暴力で荒れ狂っていくのです。しかし、先進諸外国のように、犯罪率は上昇せず、非常に治安の良い国であったのです。

これは、義務教育の大きな貢献です。1980年代までは、子どもたちの学力は、正規分布に近いものだったので、平均点付近に大勢の子どもたちがいたのです。平均的な子どもたちだけなので、誰でもが計算はでき、漢字も書け、字も読め、地形も、常識も、ほぼ全員が共通の理解ができたのです。それは、教育全体が、基礎基本をしっかり指導し、身体的訓練もしっかり行っていたからです。それゆえ、校内暴力が火を噴くのですが、学校外には、大きな影響はありませんでした。

しかし、日本の教育は、大転換をします。1990年以降、ゆとりカリキュラムになり、2002年のゆとり教育になり、学習指導要領がマキシマムスタンダードからミニマムスタンダードに変わりました。最低限のことしか教えなくなり、社会のおける学習圧力が減っていくと、学力の二極化が起こり、今日では、学力の分断化と呼ばれるまでの状況になっているのです。学力の正規分布は大きく崩れ二極化され、平均点には、子どもたちがいない状況になったのです。平均的な子どもがいるのではなく、平均点以下の子どもと平均点以上の子どもに分裂しているような事態になったのです。これでは、社会は維持されません。話の通じない大人になっていくということです。

しかし、更に大きな変更が日本の教育には待っていました。2020年から始まった新学習指導要領です。使える知識を標榜し、子どもたちの主体性を確立するための指導要領になったのです。これが、非常に欺瞞的なものです。子どもたちの主体性を確立するためには、どういうプロセスを通っていけばよいのか、ということが全くないからです。ただただ、思考力や表現力・判断力という偽善的な言葉で、新しさを演出し、基礎基本を無視した学習を行っています。先ほどの学力の二極化、分断が、更にひどくなり、テストの分布で言えば、ゼロ点に近いところと50点前後に固まって分布するようになりました。つまり、低得点が多く存在し、高得点者が非常に少ないのです。低得点と高得点に二極化だったものが、低得点と中得点の二極化になったということです。学力レベルが一段と下がってしまったということです。」

という記事をお読みいただき、みなさまはどのように感じられたでしょうか。
学校の宿題は、自主性、主体性を重んじる「自主学習」が導入されましたが、子どもたちは、本当に今の自分たちの力を伸ばすような取り組みを、自主的に、主体的に取り組めているでしょうか。
ただ、ノートを埋めることが目的になっていないでしょうか。子どもたちの自主性は、楽な方へと向いていないでしょうか。
以前のブログにも書きましたが、小さいうちから、自主性だ!主体性だ!と言ってみてところで、
何の判断基準も持ち合わせていない子どもに、そもそも判断なんてできません。
子どもがある程度、正しい判断ができるようになるまでは、大人が正しい方向にガイドしていかないといけません。

文科省の非常に危なっかしい教育改革の中で、子どもたちに正しい自主性が芽生えるように、時に厳しいことを言わなくてはならないこともあります。
今、嫌な顔をされても、未来の子どもたちの人生のために、勇気と根気を持って、スタッフ一同、2024年の指導にあたります。