2018年9月25日(火)の朝日新聞の記事に「道徳の評価」についての記事が掲載されていたので、一部を要約し、ご紹介します。

「小学校で今年度から正式の教科となった道徳で、学習成果をどう評価するか、学校現場で手探りが続いている。ほかの教科のように数値で「成績」をつけるのではなく、記述式でコメントを書くのが原則だ。子どもの様子をじっくり見守る必要があり、1学期の通知表には評価欄を設けなかった地域や学校もある。
道徳の教科化にあたり、文部科学省は学習評価の方法に関する通知を出した。専門家会議での議論を踏まえ、他の子どもと比べるのではなく一人一人に即した評価を記述式でおこなうこと、「大くくり」なまとまりを踏まえて記すこと、項目や観点別の評価はしないことを明記した。
ただし、評価内容を本人や保護者にどう伝えるかについては特段の決まりはなく。多くの学校が通知表の道徳欄をどうするかで悩んだ。」

また、記事の中で、ある学校の校長の言葉が紹介されている。
「授業では、特定の価値観を教えてはいけない。時間をかけて子供を観察し、本人が考えを深めたかどうか記す必要があり、学期ごとに評価するのでは期間が短すぎる」という。また、記事の中では、「道徳の学習状況は一人一人で異なり、言動の積極性などだけでは判断できない面もある。静かに考えを深めているということも大いにありうるからだ。そうした状況を丁寧にみとって文章にまとめる作業は大変は手間がかかり、神経も使う」と評価の難しさを挙げている。

道徳の評価はとても難しく、他の生徒との相対評価や、得点化して絶対評価で評価することは出来ない。いかに、生徒本人に関心を持ち、見守り、コミュニケーションをとり、一人一人と接してい中で、生徒一人一人の成長をつぶさに感じ、それを日々記録し、言葉を選び、限られた文字数の中でご家庭に成長の様子が伝わるような言葉で記述するしかないのではないだろうか。これが本当に実現するなら、生徒・保護者にとって、これほどうれしいことはないだろう!
しかしながら、これを成しえるためには、今よりもさらに学校の先生(特に担任)の負担は、計り知れないくらい大きくなり、個人差が大きくなるのは間違いないだろう。この道徳の教科化をカタチだけで終わらせないためにも、まずは、学校教員の働き方改革が必要不可欠だ。