みなさんこんにちは、そして、こんばんは。
進光ゼミナール西川田教室の岩崎です。

みなさん、GWは楽しめましたか?
今年のGWは天皇陛下の退位、そして新天皇陛下の即位に伴い、元号が令和となり、時代が変わるとてもとても大きな意味のあるGWだったと思います。

連日、新聞やテレビでの報道を見るにつれ、私は、天皇陛下について何も知らない、ひいては、日本の国についてほとんど何も知らないのだと思い、このGWの間に、百田尚樹氏の「日本国記」という本を読みました。そこには、日本の起源、初代神武天皇の話から、平成までの日本の歩みが、わかりやすく簡潔に書かれていました。

特に、私が心打たれたのが、昭和天皇のお話でした。昭和天皇は、大日本帝国憲法のもとでは、天皇は「国の元首にして統治権を総攬(そうらん)」する存在(第4条)であって、神聖不可侵な存在(第3条」とされていましたが、昭和天皇は「君臨すれども親裁せず」と自らにルールを課し、政治的な決定にはご自身の考えは述べなかったそうです。

その昭和天皇がご自身のルールを破り、政治的な意見を述べられたのは2度、二・二六事件を治めるようご指示されたとき、そして、ポツダム宣言の受諾を決められたとき、この2度だけだそうです。本当に国の命運がかかった時にだけ、天皇は国民と日本国のために意見を発したのではないでしょうか。

そして終戦後、GHQのダグラス・マッカーサーとの会見に臨まれた昭和天皇のお姿をご紹介したい。その時の会見の公式な記録は残っていないので、文献を参照しながらご紹介する。

マッカーサーは回顧録に次のように記しています。

「天皇の話はこうだった。『私は、戦争を遂行するにあたって日本国民が政治、軍事両面で行なったすべての決定と行動に対して、責任を負うべき唯一人の者です。あなたが代表する連合国の裁定に、私自身を委ねるためにここに来ました』 ――大きな感動が私をゆさぶった。死をともなう責任、それも私の知る限り、明らかに天皇に帰すべきでない責任を、進んで引き受けようとする態度に私は激しい感動をおぼえた。私は、すぐ前にいる天皇が、一人の人間としても日本で最高の紳士であると思った」(『マッカーサー回顧録』1963年)

また、この時、同行していた通訳がまとめた天皇の発言のメモを、翌日、藤田侍従長が目を通しています。藤田は回想録にこう記しています。

「…陛下は、次の意味のことをマッカーサー元帥に伝えられている。 『敗戦に至った戦争の、いろいろな責任が追求されているが、責任はすべて私にある。文武百官は、私の任命する所だから、彼らには責任がない。私の一身はどうなろうと構わない。私はあなたにお委せする。この上は、どうか国民が生活に困らぬよう、連合国の援助をお願いしたい』

『かつて、戦い破れた国の元首で、このような言葉を述べられたことは、世界の歴史にも前例のないことと思う。私は陛下に感謝申したい。占領軍の進駐が事なく終わったのも、日本軍の復員が順調に進行しているのも、これすべて陛下のお力添えである。 これからの占領政策の遂行にも、陛下のお力を乞わなければならぬことは多い。どうか、よろしくお願い致したい』」とマッカーサーは言った(藤田尚徳『侍従長の回想』昭和36年)。

私たちは、知らないところで天皇陛下に守られている。そのことを知ると、歴代の天皇、今の上皇様、今上天皇への感謝の気持ちがとめどなくあふれてくる。いつだって助けていただいているわけではないかもしれないが、私たちは決して一人で生きているのではない。このような歴史ある国に生まれたことをうれしく思ったGWでした。