皆さんこんにちは。進光ゼミナール西川田教室の岩崎です。

8月21日から、鶴田北教室のヘルプに行っており、ついつい西川田教室のブログをサボってしまいました。久しぶりのブログでは、勉強する意味について興味深い記事を見つけたので、皆さんにご紹介したいと思います。

『皆さんは、こんな質問を生徒から受けたことがありませんか。「なんで勉強するの?」、「なんで数学なんか勉強しなきゃいけないの?」、「どうしてこんな訳の分かんない文章を読む必要があるの?」等々。

この手の質問が出る度に、勉強をする意味を伝えたものです。決して、「将来、役に立つから」なんてことは言いませんでした。学校の勉強が将来役に立つことは何にもないのですから。そして、学校の勉強は、将来役に立つことを想定してはいないのですから。

それでは、どんなことを言ったのか。その手の質問をしてくる生徒に応じて色々な話をしたわけですが、表現や事例は違っていても勉強の意味に対しては、基本は同じです。

それは、今やっている勉強は、社会に出た時の練習なんだということです。子どもを大人にする一つの訓練が学校の勉強なのです。例えば、大人になって勉強しないと、社会に置いていかれて大変なことになるのですから、子どものうちに勉強するということの練習をしておくことが必要なのです。

また、人間は社会的な動物ですから、他者を理解することや自分を理解することが必要になります。勉強は、初めて出会った事柄を理解する練習になるのです。分かりにくいことを理解しようとすることが、つまり、他者理解の練習なのです。

他人が書いたものを理解する、これも、学校で初めて習うことになります。他人を理解するためには、学校の勉強は、格好の機会を創ってくれるのです。また、子どもは好きなことをすることが許されますが、大人は、その前に、自分の義務を果たすことが求められます。

自分のやるべきこと=自分の課題に向き合う力をつけることも勉強をやる意味なのです。』

(教育コンサルタント 中土井鉄信メルマガより一部抜粋)

私たちが、子どものころに教育的行為を通して身に付けたものは、私たちの基本的な意識として一生残ります。社会の中で生きていく子どもたちが、社会から愛され、社会の中で協働し、生きていくためにも、この「勉強する意味」を正しく伝えて行くことが重要だということを、改めて認識させられる記事でした。私たちは、学校の成績が良くなるためだけに、学習指導をしているのではないということを、私たち塾人は忘れてはならないのです。