鶴田北教室室長の新井です。先日W杯の決勝戦が終わり、4年に1度の祭典の幕が閉じました。

日本代表の大活躍は、私に元気をくれて、”できることを全力で取り組もう”と思わせる、すばらしいものでした。
私は、中学生までサッカー部に所属していた大のサッカー好きなので(今ではこんな体型ですが。。。)
日本代表の試合だけでなく、他の国々の試合も観ていました。

当然、決勝戦も観ました。優勝はアルゼンチン。本当にすばらしい、熱い試合でした。
フランスが勝ってもおかしくない試合内容でしたが、最後はアルゼンチンに軍配が上がりました。

アルゼンチンのエースにリオネル・メッシという選手がいます。今日はメッシのお話から「努力とは環境である」というお話をさせてください。

サッカーをあまり詳しくない人でも「リオネル・メッシ」の名前は聞いたことがあるのではないでしょうか。世界一のストライカーの一人であるメッシですが、実はメッシが少年期に難病指定の病気だったことは皆様ご存じでしたか?

メッシは5歳の頃に、父親がコーチを務めていた「ニューウェルズ・オールドボーイズ」という地元クラブに加入しました。その頃から世界一のサッカー選手の才能を発揮していたそうですが、10歳の時に、「成長ホルモン欠乏症」だと発覚したそうです。
この病は、簡潔に説明すると「身長が伸びなくなる病」でした。そのため、成長ホルモンの投与なしでは、身体が発達しないと診断されたのです。

難病指定されているもののため、治療費は高額で、「ニューウェルズ・オールドボーイズ」も匙を投げ、メッシの獲得を狙っていたアルゼンチンの強豪クラブ「リーベル・プレート」も獲得を諦めたそうです。

しかし、13歳の時に受験して合格した「バルセロナ」の加入テストにて、メッシに転機が訪れます。
当時の監督カルロス・レシャックがメッシのプレーを一目見て、小さな体に驚くべき才能と将来性が宿っていることを悟り、すぐさま合格を決めたのです。治療費はクラブが全額負担するといった好条件をつけて。

当時のメッシの身長は143cmでしたが、クラブチームでの投与治療を受けて、170cmまで伸びたそうです。

このように、メッシは「バルセロナ」の環境下にいたからこそ、成長することができて、世界一の選手にまで登りつめることができたのです。
よく「努力はただの努力だ」とか、「努力できることは立派な才能だ」との話を耳にしますが
私は「努力するための要素には環境も含まれる」と考えています。

「良い環境では良い結果がうまれやすいのではないか」と思うのです。
私の仕事は、まさにこれだと考えています。
生徒たちにとって、鶴田北教室が「良い環境」であること。その環境づくりこそが私の仕事であると。

さぁ、今日も明日も。生徒たちの環境を整えていくぞ。