こんにちは、西川田教室の岸井です。

進光ゼミナールでは、春期講習が始まりました。普段の50分授業とは違い、75分と長めの授業時間になりますが、生徒さんたちみんな、頑張ってくれています。

きょうは、「親世代と子世代とのジェネレーションギャップもどき」について、書いていきたいと思います。

講習前のとある休日に『推し、燃ゆ』を読みました。本屋さんへ行くのが好きでよく行くのですが、どこの本屋さんでも「芥川賞受賞!」と特設コーナーが設けられている小説です。あまり流行や“話題の~”などには興味がないタイプですが、その日は前日にショックなことがあってか、普段は買わない“特設コーナーの本”を購入しました(ついでに今月美容院へ行ったときに、担当の美容師さんに「読んでないのはやばい」と言われた『君の膵臓を食べたい』も一緒に買ってしまいました。落ち込んでいるときの衝動買いとは怖いものです(笑))

この小説は主人公の女の子が“推し”としている俳優さん・タレントさんが暴行事件を起こしてしまい、ネットニュースで取り上げられ、SNS上で炎上してしまうところから始まります。運動も勉強も苦手で、いつも学校では保健室登校。ただ“推し”のために生きている女子高生。とある飲食店でバイトをしているのですが、もちろんそのお給料も、推しを応援するための活動(推し事[おしごと]と呼ばれます)に使います。そんな話をお客さんと店長としたときに、「もっと現実の男を見ないと」と大人の人たちに言われてしまいます。

 

私は中学生の時に一時ジャニーズにハマり、いわゆる「オタク用語」を覚えました。まず、今の中高生も同じ言葉を使っているのかわからないのですが、まだ覚えているものがいくつかあります。ライブ等イベントには行かないけど、好きなアイドルが出る番組はしっかり追いかけるファンのことを「茶の間」、アイドルとして、ではなく一男性として好きで、お互いこの世に生きている限り、どこかで結ばれるかもしれえない、そんな風にアイドルを純粋な恋心で思うことを「本気愛」。今のK-POPファンの間で、好きなアイドルの名前を入れて、自分が誰のファンであるかを表す「○○ペン」は「○○担」でした。今の中高生も同じように使っている言葉で、同じ人を応援しているファンの方とは仲良くなりたくありません、という意思表示「同担拒否」が生まれたのだと思います。

教室でも筆箱やスマホケースに推しの写真を入れている生徒さんはちょいちょい見かけます。よくわからない人でも「その人、推し?」と聞くと、たくさん説明してくれるので、もはやこのセリフはパワーワードです(笑)

 

この“推し”という概念、保護者世代の層には理解が難しいように思います。まだ「本気愛」であってくれる方が分かりやすいかもしれません。小説の中でも、“推し”から広がる様々な概念について書かれていましたが、それを気持ちで理解するのは時間がかかるのではないでしょうか。

この「保護者層と生徒さん層のジェネレーションギャップもどき」は保護者面談などで話を聞いていると、かなりあるなぁ、、と思います。

 

いちばんよく聞くのは、「子ども(生徒さん)が、音楽を聴きながらじゃないと勉強ができない」というのが理解できない、というものです。私は生徒さんたち側の感覚に非常に近く、何か聞いていないと落ち着きません。高校生でウォークマンを買ってもらってからは、登下校時には手持無沙汰のため、英語の教科書CDを落としたものを、自習時には好きなアーティストの音楽を大音量でイヤホンで聞いていました。ちょっとやそっと声をかけられただけでは気づかないため、よく母や友人に肩をたたかれていたように思います。

確かに、音楽を聴きながら勉強をするよりも、何も聞かないで勉強した方が、学習内容はよく記憶しているという研究結果が出ているようです。しかし、何も音楽がかかっていない状態のまま、「よし、勉強始めるか」という風には私はなりにくいタイプで、むしろ、「理系教科の勉強をするときはこのアルバムを聴く」「文系教科の時はこっち」なんてマイルールをしっかり決めて勉強していたタイプです。

 

また、「将来の夢がない」「やりたいことがない」という子どもが多い、なんてことをよく言われます。教室で生徒さんたちに聞いてみてもそうです。この“問題視”されている事案に対して、どうしたらいいんだろう、、と漠然と考えていたのですが、いま読んでいる本、西野亮廣さんの『革命のファンファーレ』におもしろいことが書いてありました。

いまの「大人」が子どもっだった時代はネット環境なんてものはなく、もちろんyoutuberなんて職業もない、そして現在は無くなってしまっている、もしくは、無くなろうとしている職業がごく普通にあった時代です。「今ある仕事が無くなることがある」なんてことが、全く一般的でなかった時代。

それがどうでしょう。このどんどん仕事が無くなっていく社会を目の当たりにしている子どもたちに、「なりたいものを」と聞かれても、「今は興味があるけど、一生それで生きていけるか分からないし、まず自分が大人になるころに、その職業がある保証もない」となるわけです。この流れを知り、「あ、たしかに。」と納得してしましました。

西野さんは、転職や副業が当たり前になってきているこの社会で、一つのものに対して「これをやりたい!」と思ってしまうことの方が危険だとすら言っています。

もちろん、勉強するためにモチベーションを上げていくために、やりたいことがあることは大事だと思います。しかし、そのような夢などがないから悪い訳ではないことを、生徒さんたちに伝えていきたいなと思いました。

 

子どもたちが成長して大人になっていくために、私たちはサポートをしているわけですが、そんな私たちはその「未来の社会」を知りません。子供たちの立場に立って、子供たちなりの将来像に寄り添いつつ、社会の流れを学び続けたいと思います。