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こわいもの知らず

こんにちは☀️西川田教室の岸井です🍀

昨日は、2月2日“なのに”、節分でしたね。「2021年は節分が2月2日!」と友人のSNSの投稿で見て、「え!?節分って2月3日じゃないの!?」と驚きました。調べてみると、立冬や立春の日から割り出しているとか。2月2日が節分になるのは100年以上ぶりとのことですがそうなると逆に、100年以上も2月3日が節分だったことの方が奇跡なんじゃないかと思います。

さて、昨日ある小学生の生徒さん(Mくんとします)と節分の話をしていました。Mくんが就学前、保育園へいっていたとき、節分の日には豆まきのイベントがあったそうです。鬼(に扮した先生)たちに向かって、力一杯豆を投げて退治する。“鬼退治”が終わるとクラスのメンバーで集合写真を撮って終了なのだそうですが、その集合写真を撮っているとき、死角に鬼が潜んでおり、撮り終わると急に現れて園児を驚かせるそうです(驚いた園児たちはそのまま教室へ逃げてイベントが終わる流れだったとか(笑))。

この集合写真を撮るときの鬼たちの存在、年少さんは初めてのことで驚き、ぎゃん泣きする子がほとんどであるなか、年長さんは毎度のことでわかっているので「おぅ、今年も来るよねぇ。」くらいで驚かなくなるそう。

この話を聞いて、受験も同じだなと思いました。

教室には高校受験をしている中3生が多くいますが、1月の私立高校の受験をする前と後では表情に違いがあります。

それまで「受験」がどんなものか、テレビ等メディアや想像の中でしかなかったものが、現実のものになるのです。『なんだかよく分からないまま戦いに行く状態』から『ちょっと感覚を掴んで戦いを挑む状態』へ変わるのです。

 

「やったことないし、できない。」という言葉を聞くことがありますが、それはどんなものか知らないからです。人は誰しも、初めは自分の足で歩く感覚も、自転車に乗る感覚もなかったはずです。その中で何回もチャレンジすることでその『得たいの知れない恐怖』から解放されるのです。

Mくんの話を聞いて、改めて、生徒のみなさんには、いろんなことに初挑戦してほしいなと思いました。また私もしていきたいなと思います。

偏見じゃん

こんにちは☀️西川田教室の岸井です🍀

もう一月も今週で終わり、1年の12分の1が終わろうとしています。先週末は雪が降ったり、きょうはあたたかかったり、まだまだ気温の変化が激しいので、引き続きお体をご自愛ください。

生徒たちから「先生」と呼ばれるわたしたちは、教室での授業の中で、その生徒さん一人ひとりにある『間違えやすい癖』『間違える傾向』を見つけていくのですが、人間誰しも間違いはあるもので。

わたしも日々のやることの中によく間違いをしてしまいます。その傾向はないかと考えてみたところ、ありました。その名も「てっきりミス」

よく、ちょっとした見落としから生まれるミスを「凡ミス」「うっかりミス」と言いますが、その「うっかりミス」をもじって、「てっきりミス」としてみました。

これは、事柄をよく話し合った“つもり”になっていて、実際はわたしの個人的な偏見、分かったつもりでいただけで実行したときに起こるミスです。「てっきりこうだと思って話を聞いてました」「てっきりこうだと思って見てました」から起こるミスということです。

スマートフォンやタブレットが普及した頃から、コミュニケーション不足などとよく言われますが、コミュニケーション自体はSNSの流行と共に増えているように思います。

ただ、仲間内でのコミュニケーションの多さから来る語彙不足や、片寄った情報ばかり知ってしまうことからの情報不足から、「コミュニケーションの質」は下がったのではないでしょうか。

例えば、教室で休み時間などにスマホをいじっている生徒さんは多くいます。そのほとんどがゲームをしたり、SNSをチェックしたり、勉強と関係のないことですが、学習アプリで問題を解いたり、自習中に気になったことを調べたりしている生徒さんもいます。「スマホをいじっている」=「勉強していない」では必ずしもないのです。

このように、身の回りに潜んでいる偏見、自分の経験則から来る偏見は多くあります。それらを捨て去ることはなかなか難しいですが、相手としっかり向き合い話をして、取り除いていけたら、また、てっきりミスを減らせたら、と思いました。

 

今回のタイトル「偏見じゃん」はわたしの個人的に好きなバンドの曲名です。昨年末にメジャーデビューを果たし、先日2020年→2021年の間にやっていたCDTVライブ!ライブ!ライブ!に出演し、この曲をパフォーマンスしていました。その中の歌詞にこんな節があります。

 

触れてみなきゃ分からない。

話してみなきゃ分かんない。

 

相手の感情、事実に忠実に、何事にも向き合っていきたいです。

予測不可能、だから面白い。

こんにちは☀️西川田教室の岸井です✨

きょう1月20日は水曜日。岸井家がお世話になっているガソリンスタンドでは、毎週水曜日ガソリンを20L以上入れるとボックスティッシュをひとつもらえる!というイベントをしています。コンスタントに毎週行っいるわけではないのですが、きょうは行ってきました。

ガソリンを入れ終わり、教室へ向かおうとしたところで、ガソリンスタンドの隣にある建物が目に留まりました。数ヵ月前に閉店したしゃぶしゃぶ屋さんでした。友人や家族と行ったことがあり、閉店したことが分かった時は少し寂しい気持ちになりました。

このコロナ禍で、さまざまな業界が不安にさらされているように思います。特に飲食業界はよく言われますね。2020年、国内外問わずさまざまな場所で予定されていたイベントが中止、延期になりました。

わたしたちは、『いつも通りの毎日が今後も続けば』という、何の保証もない根拠から、これからの予定を立てているんだなということに気づかされました。

 

わたしの個人的に好きな著名人の中にローランドさんがいます。一時期「ホスト界の帝王」と称された人です。わたしと大して年が変わらないのに、とても視野が広く、おもしろい考え方をしている彼の言動は本当に興味深いです。

そんなローランドさんは、大学を中退しているのですが、大学へは入学式たった1日しか行っていないそうです。入学式で、新しいスーツに身を包んだ新入生たちに紛れて、彼は今後大学を順当に出てからの将来が見えてしまった(イメージできてしまった)そうです。

みんなと同じように授業を受け、バイトもし、みんなと同じように就活し。年頃になったら結婚して、子どもができ、休日には家族をつれておでかけ。ファミリーカーの後ろの席に子どもたちを乗せ、助手席には結婚当時より少し小太りになった奥さん。

そんな未来が描けてしまい、「これはつまらない。」と思ったそうです。いま予測できてしまう未来を追うなんてつまらない。もっと予測不可能な世界に行きたい。そうしてホスト界へ進んだのです。

 

ローランドさんのように自分から進んで、予測不可能な世界に行く人は少ないでしょう。しかし、このコロナ禍の影響もそうですし、今後何が起こるのか全く分かりません。「現実は小説より奇なり」という言葉がありますが、予想外のことは多く起こりえます。

どんな未来が来ても、柔軟に対応できるよう、勉強もそうですし、他に何かのスキルを着けるでもいいでしょう。準備を周到にしておくことが大切だなと改めて思いました。

主導権争い!~保護者vs子どもたち

塾で保護者面談や生徒面談をしていると、子どもが小学校高学年~中学生になると、

保護者からは、「子どもが言うことをきかない」、

子どもたちからは、「親はいちいちうるさい」という話をよく耳にします。

(それは、それは耳にタコができるほどよく聞きます!)

とくに、正義感の強いお母さんは、子どもに対しても正義を通そうとする傾向が強いようです。

子どもは小さな大人だとは言っても、それほど言語活動が発達しているわけではないですから、

お母さんのロジックに勝てるわけがありません。色々抵抗はしていても、結局のところは、

口でやり込められてしまうことが多いのではないでしょうか。

往々にして、正義感の強いお母さんは、子どもに敗北感を負わせながら、

子育てをしているようなところがあります。これは傍から見ていると、

お母さんと子どもの主導権争いそのものなのですが、

お母さんは、それにどういうわけかなかなか気が付かないのです。

子どもと主導権争いをしても、何もならないのですから、自分を冷静に見るべきなのですが、

それがなかなか難しいようです。

(偉そうに言っている私も、生徒と主導権争いをしてしまうことが多々あります。

というか、毎日のように主導権争いをしてしまっています。)

たいていの場合、こういった主導権争いは、

「勉強などのやるべきことを先にやらせたい」大人と、

「やりたいことを先にやりたい」子どもとの対立の構図になっていることが多いと思います。

例えば、今すぐに友だちと遊びたい子どもと、

遊びに行く前に宿題を終わらせたいお母さんとの争いは、

どこのご家庭でも、しばしば起こるのではないでしょうか?

このような争いが繰り広げられたら、これは宿題をやらせたいお母さんと、

すぐに遊びに行きたい子どもの力関係の争いになっているのです。

無理やり宿題をやらせたところで結果は知れています。勉強にならないはずです。

だとすれば、裏切られる約束かもしれませんが、

遊びに行った後で宿題をすることを約束させ、その約束を子どもがどう実行するのかで、

話し合いを持ってみてはどうでしょう。

言い争いの最中にシロクロ決着をつける必要はないのです。

子どもを言い負かしても良いことはありません。親が大人になることです。

主導権争いから一歩身を引いてみてください。

勉強の終わりはどこだ?

こんにちは🍀西川田教室の岸井です✨

先週いっぱいは肌に突き刺さるほど寒かった印象がありますが、今週は比較的暖かい日が多く過ごしやすくなりました。とはいっても、まだまだ朝晩の冷え込みは厳しくなっていますので、風邪など気をつけてお過ごしください☀️

 

きょうは、わたしの親族の間で時々話される、ある身内エピソードについてシェアしたいと思います。これは、わたしの“はとこ”のお母さん=わたしの母のいとこにあたる方のお話しです。“陽子おねえちゃん”と呼んでいるため、こちらでも陽子おねえちゃんで失礼します。

陽子おねえちゃんが小学生の時です。学校から帰り、宿題を終え、のんびりしていたところ、仕事が終わり帰ってきたお父さんに、こんなことを言われます。「陽子、勉強は終わったのか。」

その言葉に対し、陽子おねえちゃんはこう答えたそうです。

「おとうちゃん?宿題なら終わるけどね、勉強は終わらないよ。人生、死ぬまで勉強なの。」

 

この言葉を聞いたお父さんはどんな気持ちだったでしょう(笑)「一本取られた!」かもしれないですし、「自分も大人になったからって、怠けていられないな。」かもしれません。そしてこのエピソードは、代々話し継がれ(と言ってもまだ二代ですが(笑))、「死ぬまで勉強→成長できること」を教えてくれます。

 

今月あたまに中3生の私立高校の入試が終了し、今週合格発表がありました。西川田教室の生徒さんたちはもんな日頃の学習の成果を発揮でき、全員合格することができました

そんな今週末の特別授業『入試特訓=入試必勝パーフェクト講座』

私立高校で進路が決定した生徒さんたちも、集まってくれました。ほとんどの中3生にとって、高校入試は人生で初めての入試かと思います。その人生選択の場、むしろ選抜される場を乗り越えると、疲労と安堵から勉強をしなくなってしまうことが多くあります。

しかし人生まだまだこれから。むしろ今後の人生のための高校入試が終了したのです。これから高校入学後、大学受験時、就職時、さまざまたタイミングで同年代の人と競争していきます。

そんなとき、ライバルたちに負けないために、まず、同じスタートラインに立つために、今はまだほっと一息つく場所ではありません。厳しいようですが、これまでの頑張りを継続していきましょう。

ひとまず、中3生のみなさん

私立受験おつかれさま!そして合格おめでとう!!

 

なんにでもなれる~可能性は無限大~

こんにちは☀️

西川田教室の岸井です✨年が明けて一週間が経ちました。私もあまり意識していなかったのですが、昨日ある生徒さんが話してくれて、「ほんとだ!もう一週間経った!」と改めて思いました。新年の抱負は決めましたか?

今日は「将来の可能性は無限大だ」という話をしたいと思います。これまでに聞いた将来についての話で、忘れられないものが2つあります。

 

ひとつ目は、私が高校1年生の時です。掃除当番で「進路指導室」掃除だったのですが、その教室にいつもいらっしゃる先生とクラスメイトであるとき、志望校についての話になりました。「どっか行きたい大学とかあるの?」と先生。あまりはっきりした考えがなかった私たちがうやむやにしていると、クラスメイトの一人がふざけた調子で「東大!!」そんな行けるわけないだろうと笑う私たち。私の通っていた高校では、30年ほど前こそ、毎年1人は東京大学へ進学する生徒がいたそうですが、いまは5年に1度いるかどうか。【このレベルの高校で現在そんなに勉強熱心でないこいつが東大なんか行けるわけないじゃん】そんな笑いでした。

その様子を見て先生は、「いいねぇ!行けるよ!」と真剣なまなざし。普段から冗談も通じるノリのよい先生からそんな言葉が出てきて、私たちは不思議な気持ちになりました。先生は続けてこう話してくれました。「可能性なんて無限大なんだよ。みんなまだ1年生だろぉ?これが2年の12月って言ったら、ちょっと話は変わるけど。いや、それでも大して変わらないかもな。これからの頑張り次第で東大だって夢じゃない。ハーバードだって、現段階で行ける可能性はあるんだぞ。そう冗談で言うな。どこだって行ける。」

 

ふたつ目が、私が大学1年生だった時です。私の通っていた大学は、その大学を卒業された後、一般企業へ就職をしたり、留学をしたり、他大学で研究をしたりした後、大学へ先生・教授として戻って来られる方が多くいらっしゃいました。私が1年生だったとき、英語のクラスの担当だった先生も同じように大学の卒業生だった方でした。その先生があるとき授業の中でこんな話をしてくださいました。

「みんな、“もう将来の選択肢は限られてる”って思ってるでしょ。高校で理系・文系選択もして、行きたい学部も決めて、大学入って。わたしも大学1年生のときはそう思ってた。けどね、それは違うよ。これからだって自分の考え次第、行動次第でなんにでもなれる。」

その先生は、大学で授業がない期間は、発展が進んでおらず言語はあっても文字がない地域へ行き、そこの方々と交流をして、文字を作り、その言語の辞書を作る、ということをされている先生でした。私たちが2年生になったときには、そちらの活動を本格化されるとのことで学内でお顔を見ることもなくなりましたが、素敵な言葉を下さった先生らしいなと思いました。

 

高校1年生のとき、「高校受験」という初めての人生選択を通過したばかりの私たちは、なんとなく将来行ける大学、そしてその後の未来も制限されている気がしていました。

そして、二度目の人生選択「大学受験」を終え、どんどん将来像が限定されてきている気がしていました。

そんな時期にこの言葉を下さった先生方には、ほんとうに感謝しています。

気持ち、行動次第で、いつからでも、なんにでもなれる。

教室に通ってくれている生徒さんたちにも、彼らの持つ可能性について話していきたいなと改めて思いました。

年初めにステキな言葉をありがとう!

明けましておめでとうございます🎍今年もブログを開いていただきありがとうございます✨これからも教室のことや勉強のことなど、発信していきたいと考えています。宜しくお願い致します🍀

改めまして、岸井です。

進光ゼミナールは、1月3日本日から開校していますが、きょうは三が日ということもあってか、明日に高校入試を控えている中学3年生が多く、他の学年の生徒さんは、小学生から高校生まで合わせても、1日を通して全体の3割弱でした。

お正月の予定となると、なかなか目処がつかないことが多いですね。きょうの授業について、何名かの生徒さん・保護者の方からのご連絡があり、別日へ振り替えしたり、授業時間を早めたりされた生徒さんもいらっしゃいました。

進光ゼミナールは、担任制ではないため、席に空きがあれば、別日や別時間に授業を振り替えて行うことが出来ます。講習期間だけでなく、通常授業でもそうなので、なにかありましたら、お気軽にご連絡ください✨

 

あとがき

年末に振り替えの希望を提出してくれた高校生のKくん。もともと別日だった分も合わせて、75分授業×4コマ連続できょう授業を入れていました。

時間にして 17:50 ~ 21:25

「きょうは4コマだねぇ💦」と声をかけると

「ぜんぜん大丈夫ですよ。受験のときはこれくらいやってたんで。やれます。」と一言。

その余裕と自信に溢れた表情を見て、あることを思い出しました。

それは彼が中学3年生だった3月。高校の合格発表後に教室へきたKくんが

「合格しました。ずっと周りから無理だって言われていたけど、やってやった。努力して見返せました。ほんとうに嬉しい。」と話してくれたことです。

受験はあと何十日かで終わるけど、いまの努力が、経験が、いまの中3生の生徒さんたちにも、将来の自信に繋がるといいな。

そんなことを思いました。

Kくん、素敵な言葉を、ありがとう!

プレゼント

12月25日はクリスマスでしたが、皆さまのお手元には、サンタさんから素敵なプレゼントは届きましたか?
プレゼントは、いくつになってもうれしいものです。

私は、ずっと昔、年上の知人からプレゼントについての大切な考え方を教えていただきました。
その知人は、私が大学生で東京に住んでいた時に、いろいろなお店に連れて行ってくれ、食事をご馳走してくれたうえ、いつもプレゼントとしてお土産を持たせてくれました。その知人に、ある日、「いつも、食事をご馳走してていただいた上、お土産まで持たせていただき、本当にありがとうございます。何もお返しすることができず、本当に心苦しい限りです。」と伝えたところ、「何も気にしなくていいよ。食事もお土産も、私が、日頃からお世話になっている人に、感謝の気持ちをもって、ご馳走させていただいているだけだから」と、軽く微笑みながら答えてくれました。

その言葉を聞くまで、私は心のどこかで、「ご馳走してあげる」「プレゼントしてあげる」と、無意識に、いわば上からの目線で考えていたことに初めて気づきました。プレゼントやご馳走は「する」ものではなく、「させていただく」もの。そして、感謝の気持ちを示すものだという考えは、その日以降、ずっと私の心の中に残っています。

私は、いつだって一人ではなく、周りの方々に支えられている。そのことに気づき、感謝の気持ちを持つこと、そして、その感謝の気持ちを伝えることの大切さを、その知人の言葉から学ぶことができました。こんな大切なことを教えてくれた知人に感謝しつつ、このことを、生徒たちにも伝えていきたいと、ふとクリスマスに思いました。

ことば

こんにちは⛅西川田教室の岸井です✨

気がつけば12月も半ば、朝晩は特にすっかり寒くなりましたね。昨日の午後は短い間でしたが、風花が降っていました!寒いわけです❄️みなさまお体の方ご自愛ください🍀

先日、講師先生方の研修会があり、会場まで教室から少し離れたところだったので、西川田教室の講師先生と一緒の車で向かいました。

その先生が「親戚の子どもがよく話をするようになって、なんでも『なんで?』と聞いてくるんですよ。」という話をしてくださいました。

その疑問をひとつひとつ答えているそうなのですが、ふとこんなことを思ったそうです。

「物の名前」「ことば」って、こうやって長く説明するのがめんどくさいから、それを短縮化するために“おとな”が作り出したものなんじゃないか。

わたしはこの考え方をこれまでにしたことがなかったので、とっても驚き、たしかに、と納得しました。

もちろん新しいことばを覚えることは成長ですし、

単に「ラーメン屋さんで豚骨ラーメンを食べよう」といえばいいものを、「“中華麺専門店”で“豚の骨から出汁をとったスープの麺”を食べよう」と言う方がいいとか、そういうことではありません。

ですが、ひとつひとつのことばをまだ知らないこどもたちに、新しいことを教えるとき、これから先も覚えていく“新しいことば”を吸収できる手助けとなるよう、丁寧に伝えなければならないな。また、そのことばの持つ意味、ことばの表すものについて一緒に考えていきたいな、と改めて思った出来事でした。

普段の生活の中からこんな発見をされる素敵な先生と一緒に生徒さんたちの学習をサポートできてしあわせだなと改めて実感しました✨

クリスマスプレゼントをより素敵に

あと少し経つと、子どもたちが、1年で1番楽しみにしているであろうクリスマスがやってきます。私も子どもの頃、毎年クリスマスを本当に楽しみにしていました。

昨日、教育関連の記事を読んでいたら、「社会性を育てることが親からのプレゼント!」という記事と出会ったので、皆様にご紹介したいと思います。(以下、原文のまま引用)

『子どもは親からプレゼントをもらうことが当たり前だと思っているこの時期だからこそ、親にとっても子どもにとっても学びの多い機会があるかもしれません。

例えば、親が「なんでも欲しいものを買ってあげる」と言って、お店に出かけるとします。「これがいい」と選んだ子どもに対して、「それよりこっちの方がいいでしょう。」とか「それはまだ、あなたには無理だから・・・」、「そんな高いもの・・・」と親が言うとします。

子どもはなんでも買ってもらえると思って選んだにもかかわらず、親からの待った!これでは、子どももちょっと不愉快になったりするものです。そこで、親の言葉に耐え切れなくなった子どもは、「もう、なんでもいいよ。」ということになるかもしれません。「折角お母さんが買ってあげると言っているのにその言い方は何?それじゃ買ってあげないからね!」なんてなるかもしれません。

子どもに喜んでもらいたいという気持ちの親と、期待に胸を膨らませた子どもだったはずなのに、あと味の悪い結果になってしまうケースがあります。

こんなことにならないように、今からしっかり子どもと話をしてみるとよいと思います。

「クリスマスにお母さんとお父さんからプレゼントを買ってあげようと思うのだけれど、何がほしい?」

「ただし、なんでもというわけにはいかないの。お金は、○○円以内のもので、あなたが大切にしてくれるものにしてほしいわ。」

すぐに決められなかったり、気の変わりやすい子だったら「ほしいものをクリスマスの前の日までに3個くらい考えておいて。そして、前の日にお母さんといっしょに1つ決めましょう。」そして、出かける前にもう一度プレゼントの最終確認をして、「もし、お店で目移りすようだったら、一回お店から出て(家に帰って)、もう一度考えましょう。」と約束しておきましょう。

買い物は、社会性を育てるチャンスです。手に入れようと思っているものが本当にほしいものなのか、家族に認めてもらえるものなのか、予算は適当かを十分検討した上で、出かけましょう。十分吟味した上でのクリスマスプレゼントは、子にとっても親にとっても納得できるものです。素敵なものになるはずです。』

私たち、親の何気ない行動、一言が子どもたちに与える影響はとても大きいです。常に、聖人君主のように振るまうことはできませんが、このような、ほんの少しの気づきと、子どもたちへの心遣いが、子どもたちの今後の生き方に大きな影響を与えるのかもしれません。クリスマスが、子どもたちにとって、また、保護者の皆様にとってお素敵な思い出になるように祈りつつ、今日のブログを書きました。

最後まで、ご覧いただきありがとうございました。